飲食之事 – 『養生大意抄』上
凡例
(1)変体仮名、片仮名などは、現行のひらがなに改めた。
(2)文脈から判断し、適宜句読点を加えた。
(3)原書にある右側の傍訓は文字の上に、左側の傍訓は[]内に記した。
(4)細字は〔〕内に記した。
(5)旧仮名遣いと送り仮名はそのままとし、旧字体や俗字などは原則として新字体にした。
(6)底本に国立公文書館内閣文庫所蔵本を用いた。
飲食之事
○飲食は先天の気を扶助て一身を滋養ひて百歳の寿命を保たしめんが為に天地より授与へ給へる物也。妄に口腹に任てほしいままに大食し一時の快美をなさんが為に天地より授与給へるにあらず。然れども人の情慾は恣になりやすくこらへかぬるものなれば、古は食医とて其職を掌どる官ありて王の飲膳に法を立妄に飲食し給す。論語にも郷党の篇に記せしを見て聖人は飲食を慎給ひしを識べきなり。飲食は惟飢渇せざる為とのみ心得べし。
○素問に飲食有節といへり。節は程よきをいへり。又t飲食自倍は腸胃乃傷とあり。飲食は此身を養ふ第一の物なれども其程に過ぬれば却て身を傷るに至る。猶水火のよく人を利し又よく人を害するがことし。凡飲食よき程に食すれば腹中にすきたる所ありて元気めぐりやすふして食物も亦消化やすきゆへ吾一身を養ひて病生せず。若十分に飲食すれは食物腹中に充満してすきまなき故元気めぐらず食物消化るること成らずして速なるは食厥となり緩やかなるは積聚痰癖水腫等の諸病となる。此故によく食して飽食あるべからず。何程の珍膳美味或は嗜好める物といへども八九分にてやむべし。十分に食すれば飽満して後に禍となる。初に慎ば後の禍なかるべし。
○前に食したる物いまだ消化ず腹内未すかざるを覚ば、間もなく引続けて物を食すべからず。重つづけて食すれば胃の気めぐらず、気をふさぎて必病となるべし。
○空腹なる時驟てすぐに物を食すべからず。先湯茶の類にても羹汁抔のたぐひにても飲て、腹内をよくうるおして後に物を食すべし。凡飢過て食するときは、必味噌汁をとくと飲て後に飯を喫へば病を生せず。若先飲物せずして食すれば、食厥の病を発することあり可恐※1。
○飢て食し渇て飲とき飢渇に任て一時に多く飲食すべからず。脾胃を傷り元気を損して身の養にならず。却て害あり。
○飣羹は口に協へる物にても余り多く食すべからず。飯は元気を養ふ第一の物なれども、飯ばかり食すれば腸胃に泥滞りて気を塞ぐ事あり。故に必飣羹をまずへ五味を調和して食するは脾胃の気をすかしめぐらして滞らしめざるが為なり。此理を考へて腸胃を和するを要として飯の助けに食すべし。味を嗜て口腹にまかせ妄に多く食すべからず。飯の分量より少く食するをよしとす。肉多といへども食のきに勝しめづとは、聖人の養生なり。
○常には味の淡薄なる物を多く食し、間には肥濃油膩の物をまじへ食すへし。肥濃油膩の物は滞りやすし。おほく食し或は連日食すべからず。山野の農人等身は労動して淡薄なる物雑穀の類のみ食して身体堅固にして長寿する者多きにてしるべし。脾胃の気よくめぐる故なり。
○魚肉は米穀等とひとしく脾胃を養ふ物なり。少々ずつまじへ食すれば大に胃の気を養ふ。然れども其質よく脾胃に滞り易し。且原水中に生じたる物なれば性に湿熱を蓄へり。此故につづけて食し、或はおほく食すれば、脾気を塞て内にては敦阜の病を生じ外にては、癰疽等の病を発す。晏食にわ食せざるをよしとす。大魚は味厚く脂多し滞りやすし。食せざるをよしとす。
○鳥の肉にも性よろしき品あり。然れども皆消化がたし。此故におほく食すべからず。性よからぬ品殊に多い。其物の性の善惡と肉の堅脆とを考へ性よく肉こはからぬ物を食すべし。昔より食物にせし鳥肉に食すべからざる品多し。鶴鵠の類の大鳥は故なくして食すべきものにあらず。
○食は細に嚼緩に咽を法とす。細にかめば化やすく緩に咽ば滞らず。よく食物胃府に落着て気血と成てよく身をやしなふ。心忙くせわしく食すれば滞り易く化がたくして身の養にならず。却て害あり。此故に凡食事は万事をやめて心静に食すべし。故に聖人も食するときは語たりしたまわずと郷党篇に見へたり。
○常に温暖なる物を食すべし。生冷(なまのひえたる物は多く食すべからず。凡人の脾胃の運行は陽気を本とす。故に胃中の陽気減ずれば、種々の病おこる。陽気盛なればよく食物を克化し血気を生じて一身を養ふ。夏月といへども温暖なる物を食すれば、害なくして益あり。
○盛夏の時には、陰気腹内に伏し在るに縁て、食物の消化遅し。故によく食傷し易し。殊に生冷果瓜の類を多く食すれば、軽は飡泄重きは霍亂吐利をなす。戒むべし。故に夏月も温暖の物を食するによろし。
○凡堅硬物は食べからず。消化がたく脾胃を損ず。其物もの性よろしき品にも質堅きは化がたし。性よくして質堅きは調理に依りて食して害なき物あり。
○凡其物質は消化易き品にして性よからざる物ある。惣じて性あしきは食すべからず。
○凡時節に依りて同じ物にてもあしき時あり。又よろしく時あり。假令甜瓜西瓜ば酷暑の節少しく食すれば暑邪を消して頗功あり。微涼気を催すに至て食すれば、大に害あるの類(るいなり。
○若食傷吐瀉せし事ありし後、早く粒食を食すべからず。飢極りて米飯をのみて少しく腸胃を潤すべし。其後消息て稀粥を進め又はるか程ありて少し輭なる飯を白湯漬にして食し、漸々に食量を倍すべし。一時に粒食を食し、或は一概に多く食すれば、大いに害あり。
○食後には帯をゆるめ腰をのべ、気をのびやかにもちて、静にいきをぬくべし。食気とどこほらず。
○酒は百薬の長と古人いへり。少しく飲ば陽気を助血気をやすらげ食気をめぐらして大に益あり。多飲ば血脈を乱し腸胃を傷りて大に人を損す。必多く飲べからず。人の性にて節あり。其節を考へてほろほろ酔を度として其うへを飲すごすべからず。食後に少し飲ば食気をめぐらして益あり。温酒をのむべし。陽気をかりて気をめぐらす故なり。冷酒はよろしからず。熱酒固より飲べからず。
○凡人年弱ときは血気いまだ定まらず酒は固よく人の血気を乱す物なれば、弱齢の人は酒をのまざるをよしとす。壮年に及ひ血気既に定れる比よりして半酔なるを度としてのむべし。半酔の人は長寿なりと古人もいへり。
○五味偏勝とは、五味の内にて唯一味を常に多く食すれば、其一味の気偏にかつをいふ。假令甘物をつづけて多食すれば、中焦の気滞りて痞満腹痛等の病を発す。辛物をつづけて多く食すれば、気上逆して眼病瘡瘍等の病を生ず。鹹物多ければ、血乾く。故に嗌かわき湯水多く飲て脾胃を傷る。苦物多ければ、脾胃の生気を損ず。酸物多ければ、気ちぢみてのびず。此故に内経に気を積て偏なるは夭の由なりとありて、一味の気偏て多ければ、皆病となりて命をちぢむる基なり。故に五味をとり交て少々づつ食すれば、病を生ぜずして身を養ふ。