鍼灸薬餌之事 – 『養生大意抄』下

凡例

(1)変体仮名、片仮名などは、現行のひらがなに改めた。

(2)文脈から判断し、適宜句読点を加えた。

(3)原書にある右側の傍訓は文字の上に、左側の傍訓は[]内に記した。

(4)細字は〔〕内に記した。

(5)旧仮名遣いと送り仮名はそのままとし、旧字体や俗字などは原則として新字体にした。

(6)底本に国立公文書館内閣文庫所蔵本を用いた。

鍼灸(しんきう)薬餌(やくじ)心会(こころえ)之事

(ならひ)(かふ)べからざるあり。五方の民各自(それぞれ)(ならひ)(こと)なり、其(ならひ)(かふ)べからず。貴と賤と其ならひ又(かへ)がたし。此義をよく(わきま)へて(せい)(やしな)ふをよしとす。(そうぢ)山野(さんや)(たみ)(うまれ)(まま)にして自然(しぜん)(なれ)し者なり。医薬(いやく)(もちひ)すして無病(むびやう)なること深山(しんさん)幽谷(ゆうこく)(さん)せし樹木(しゆもく)培養(ついかひやしなひ)を用ずして生育(せいいく)(かつ)長寿(ちやうじゆ)なるがことし。都下(みやこ)(ひと)中人(ちうしん)以上なるは、(ならひ)に依りて自然(しせん)のままならず。故に時宜(ちき)に従ひて医治(いち)を用ゆるべき事おほし。庭園(にはその)(うつ)(うへ)たる木草(きくさ)時々(よりより)枝葉(えたは)をすかし水抔(そそぎ)寿数(じゆすう)(たも)たしむるがことし。冨貴(ふうき)の人は殊更(ことさら)(とき)のよろしきに従ひて医治を用ゆべき事、盆栽(はちうへ)木草(きくさ)の冬は(おおひし)雪霜(ゆきしも)(しの)ぎ、夏は烜日(あつきひ)をふせぎて水を(そそ)ぎ或は糞土(ふんど)米泔(ときみつ)(るい)を以て培養(つちかひやしな)はざれば、蘩茂(はんも)せざるがことし。(これ)(みな)其習のなす所なれは、又各自(それそれに)(ならひ)に従ひて(せい)(やしな)ふべし。此(ならひ)をとりかへ改べからず。(ならひ)(あらたむ)ることのなしにくきは、樹木(じゆもく)()所の土地(とち)移植(うつしかへ)(つき)かぬるにてしるべし。貴人にも其性質(せいしつ)壮実(そうじつ)にて医薬(いやく)を用ざるあり。山野(さんや)にも虚弱(きよじやく)にして修養(しうやう)(くわふ)る者なきにはあらざれども、甚(まれ)なることなれば、定規(ぜうき)として一(がい)心会(こころう)べからず。

四時(しじ)気候(きかう)()り又は時宜(じき)(つき)医薬(いやく)を用ゆべし。假令(たとへば)夏日(かじつ)伏陰(ふくいん)(うち)にありて腹内(ふくない)陽気(やうき)(うすき)によりて食物(しよくもつ)消化(こなれ)(おそ)そ。此故に(やや)もすれば飲食(いんしよく)心下(しんか)停滞(ていたい)することあり。其儘(まま)すて置ば(やうやく)蓄積(たくわへつみ)(つい)吐下(はきくだし)霍乱(くわくらん)抔の病となるものなれば、若(すこしく)して心下に(つかへ)(とどこほり)を覚ば(すみやか)(かろき)按摩(あんま)抔して(つよ)きは鍼刺(はりさし)服薬(ふくやく)すべきの(るい)にして内経(だいきやう)所謂(いわゆる)未病(みびやう)を治するの(てたて)なり。

○凡人身(じんしん)気血(きけつ)順和(じゆんくは)なれば、無病(みびやう)にして長寿(ちやうじゆ)なり。(ただ)飲食(いんしよく)起居(ききよ)男女(なんによ)(つつしみ)(せい)(やしなふ)べし。(みだり)鍼灸(しんきう)(やく)を用ゆべからず。然れども時候(じかう)不正(ふせい)()に中れば外因(くはいいん)(やまひ)おこり、喜怒(きど)憂思(いうし)(うち)(うこき)(すぎ)(きはまり)或は飲食(いんしい)労逸(ろういつ)(ほど)(すき)ぬれば、(みな)内因(ないいん)の病となる。微病(びびやう[すこしきやまひ])にも医治(いぢ)を用ゆべし。(やまひ)(いへ)なば(すみやか)(kすり)(ととむ)べし。(ひさしく)(ふく)すべからず。絹布(きぬぬの)抔に(すみ)(つき)たるを即時(そくじ)(あら)へば即時(そくじ)(ぬけ)(あと)だにもなし。(もし)(あと)なきに(みづ)(そそぎ)(あら)へば、()(そん)するに至るべし。又(ほど)(ひさ)しき(やまひ)(ひさ)しく(くすり)(ふく)すべし。(やうやく)()すべきものあり。絹布(けんふ)(すみ)(つき)たるも(ほど)()(あら)へば(さり)がたし。故に種々(さまざま)(くすり)(くはへ)久しく(みづ)(ひた)(もみ)そそぎて(やうやく)に去るがことし。(もし)久病(ひさしきやまひ)(きう)(のぞか)んとして撃剤(けきざい)を用るは、絹布(けんふ)(るい)墨点(すみつき)たるを久しく(ほど)()(のち)(きう)に去んとしてつよき灰汁(あく)抔に(ひた)(つよ)(もみ)(あら)ひて其(ぬの)(やぶ)るがことし。此理(このり)をよく(さと)りて(よろしき)(したが)(やまひ)(やしのふ)べき(てだて)(ほどこ)すべし。

○凡人稟受(うまれつき)強弱(つよきとよわき)あるは、人の(おもて)の同じからざるがことし。(かつ)父母(ふぼ)痼疾(こしつ[ぢびやう])あれば其子其気を(うけ)生まれ終身(しうしん)(うれひ)を成す事あり。是を遺毒(いどく)といふ。遺毒(いどく)に又(あつき)(うすき)との二つあり。(どく)(うすき)は其病源(ひやうけん)と其(せう)とを(つまひらか)にして医療(いりやう)(ほとこ)せば過半(くははん)(けん)ずべし。(ことことく)(だつ)すべからず。(とく)(あつき)医療(いりやう)に及がたし。(ただ)増劇(そうげき)せざる様の処置(とりさばき)して(せい)(やしなふ)べし。若(ことごと)く其()(ぬか)んとして撃剤(げきさい)を用ひるば、其根も(ぬけ)ずして生命(せいめい)(うながす)に至るべし。よく此義を(わきまへ)(みだり)医治(いぢ)すべからず。

○薬は人の(やまひ)除物(のぞくもの)なる東坡(とうば)()五穀(ごこく)よく人を(やしな)へども(やまひ)(いや)すことあたわず。(くすり)よく(やまひ)(いや)せども人を(やしな)ふことあたわずとありて、五穀(ごこく)薬物(やくぶつ)とは(たがひ)に相(まち)(やう)をなす。(たとへ)文武(ぶんぶ)両道(りやうどう)よく相(まつ)国家(こくか)を治るがごとし。凡薬物(やくぶつ)(せい)(へん)なるものおほし。(せい)(かん)(へん)なるは、熱因(ねついん)(やまひ)()性熱(せいねつ)(へん)なるは、寒因(かんいん)(やまひ)()するの(るい)なり。此故に病と薬と(たい)すれば薬なり。対せざれば(どく)ちなる。凡(ひと)気血(きけつ)平和(へいわ)なれば病なし。五穀にて生を養ふべし。若故ばくして薬を用ゆるは太平(たいへい)剣戟(けんげき)(うごかす)がごとくにて、正気(せいき)(やぶ)らざる者少なからさるべし。孫思邈(そんしばく)(ひと)故なくんば(くすり)(ふく)すべからずといいしは、此義なり。然れども、若故あれは微恙(すこしのやまひ)といへども、(すみやか)に医薬を用ゆべし。(ゆるかせ)にすべからず。剣戟(けんけき)にあらざれば寇賊(かうそく)征伐(せいはつ)することあたはざるがごとし。

○薬を用るの(はふ)(もつとも)多端(たたん)なり。(ことごとく)(しるし)がたし。其(とき)(のぞみ)良医(りやうい)指図(さしづ)(かう)べし。(みだり)に用ゆべからず。

(はり)は人の気血をめぐらして病を(いや)すものなり。凡人の身内(みうち)不和(ふくは)にして気血(きけつ)結聚(けつしゆ)せし處あれば必()(めくら)ずして病となる。如此ならば鍼して気血を(ひい)(きよ)なる所は(みた)しめ(じつ)なるは流通(りうつう)せしめて病を治するなり。若人の病に邪物(じやふつ)結聚(けつしゆ)甚しく気のめぐりを(とどむ)る故薬気周身(そうみ)(たつ)せざることあるには、先鍼して後に薬を用ゆれば、邪気(じやき)解散(けさん)して薬力よく(たつ)することあり。張仲景(ちやうちうけい)(しよ)桂枝湯(けいしとう)(ふく)して(あせ)(はつ)せざるは風池(ふうち)風府(ふうふ)〔二穴(けつ)共に(はり)(さす)穴所(けつしよ)の名なり〕を刺し(かへつ)桂枝湯(けいしとう)(ふく)すれば、(あせ)(はつ)すことある(たくい)是なり。若虚損(きよそん)(やまひ)気血(きけつ)(ともし)き者はみだりに(はり)すべからず。内経(だいきやう)陰陽(いんやう)ともに(きよ)する者は(はり)することなかれ。甘薬(かんやく)(あたふ)べしとあり。甘薬(かんやく)補薬(ほやく)を云よし注文(ちうぶん)にみへたり。

内経(だいきやう)(おおひ)(うへ)たる時大に(えひ)たる時大に(いかり)たる時大に(ろう)したる時大に(あき)たる時大に(かわき)たる時大に(おどろ)きたる時(いつれ)鍼治(しんぢ)すべからずとあり。是(みな)真気(しんき)(そん)するがゆへなり。(つつしみ)(いむ)べし。然ども(きう)なる病あるときは是に(かかわる)べからず。

(きう)人身(しんしん)真陽(しんやう)()(たすけ)めぐらして寒冷(かんれい)()(のぞく)(もの)なり。故に陽()(さかん)にして実熱(じつねつ)(やまひ)にはあして虚熱(きよねつ)(きう)すれば真陽(しんやう)(たすけ)()虚熱(きよねつ)自然(しぜん)(をさま)る。又よく鬱滞(うつたい)()(さん)ず。脱血(たつけつ)失血(しつけつ)(そうじ)陰虚(いんきよ)の病(やまひ)には(もつとも)(いむ)なり。医に弁別(べんべつ)(かう)艾灸(がいきう)すべし。

○惟(たた)平居(へいきよ)にして(やまひ)未形(みけい)(きう)するは(てん)気候(きかふ)(かんがへ)時日(じじつ)をえらみて(きう)すべし。然れども是亦急病あるには(かかわる)べからず。

○微(しこ)しく(こころよ)からぬを覚ば早く医者に容子(やうす)を視せしむべし。医者に容子視せしむるに心会(こころえ)あり。凡医者病人を(しんする)には望聞問切(ぼうぶんもんせつ)とて四つの法あり。其法先病人の顔色(がんしよく)容貌(やうほう)を視るを臨診(ぼうしん)といふ。次に病人の言語(げんぎよ)音声(いんせい)のめりかり(とう)(きく)(もんしん)といふ。又次に飲食(いんしよく)起居(ききよ)二便(にべん)の様子其(くる)しむ所何等(なにとう)なるを(とう)問診(もんしん)といふ。又次に(みやく)浮沈(ふちん)遅数(ちさく)等を視定るを切診(せつしん)といふ。此四診のうへに頭面(かしらおもて)腹背中(はらせなか)手脚(てあし)抔を按拊(おしなて)邪気(ぢやき)有無(うむ)(さつ)する等の診法(しんほう)多端(たたん)なり。此もろもろの診法をかけ(あは)参考(ましへかんがへ)(いづ)れの(やまひ)たることを決断(けつたん)して其(よろ)しきに(したが)ひて(りやう)()をなすこと、万古(ばんこ)不易(ふえき)の法なり。此義を兼々(かねかね)心会(こころえ)置て医者に診視(しんし)せしむる(ごと)(たが)はぬ様に(くは)しく容体を告け聞すべし。少し(たが)えば療治(りやうぢ)のうへにては大なる相違(そうい)なることなれば、忽略(こつりやく)すべからず。

異国(いこく)(むかし)後漢(ごかん)和帝(くはてい)(てう)郭玉(くわくぎよく)といふ名医(めいい)ありて(こころさし)(はなはだ)仁愛(ぢんあい)にして貧賤(ひんせん)厮養(こもの)といへどもよく心を(つくし)治療(ぢりやう)して(いえ)ざるはなかりしに、貴人(きにん)の病を療ぜしには(かふ)なき者おほかりける故、和帝(くはてい)如何(いかか)して如是(かくのことく)なる哉と(たつね)(たま)ひければ。貴人(きにん)には四つの難義(なんぎ)ある故なりと(こと)ふ。四難(しなん)とは貴人(きにん)は第一我(まま)なる者にて治療(ぢりやう)の法を(まも)らず。医者の(いさめ)を用ず。第二に一体養生の道を(つつしみ)て守らず。第三に性質(せいしつ)下賤(げせん)のものと(ちが)虚弱(きよじやく)なるものおほし。故に薬力(やくりよく)のめぐりもあしく。第四には何事にても(つとむ)ることをきらひうかうかと日を(くら)す事を(このみ)其上に膏粱(こうりやう)美味(びみ)(あく)まで(しよく)淫欲(いんよく)(ほしいまま)にして脾腎(ひしん)(やぶ)るゆへ病痊(やまひいへ)ざるなりと後漢書(ごかんじよ)(みえ)たり。(ただ)高貴(こうき)の御方のみならず凡中人(ちうじん)以上且家質(かし)(ともし)からぬ者の何事(なにこと)自由(じゆう)なうが(くせ)になり(わか)まま第一になる故身の(ため)にあしき事も忘れはて其時々に(こころよし)と思事ばかりを(もつはら)(おこな)ひて(はて)非命(ひめい)に其身を(うしなふ)者おほし。家語(けご)孔子(かうし)哀公(あいこう)(こたへ)給へる(おのれ)(みつから)(とる)ものなり。氷雪(ひやうせつ)(きへ)やすきも凌室(ひむろ)(たくわへ)(たも)たしむれば、盛暑(せいしよ)(しのぎ)存在(そんざい)千歳(せんざい)()べき松柏(せうはく)斧斤(ふきん)を以(きれ)(たち)所に(たを)すべし。よく此義を自得(じとく)して(わが)稟受(ひんじゆ)強弱(きやうしやく)をかへりみ、(ひと)(いさめ)(いれ)(みち)(まも)り病を(つつし)みてよく(わが)(せい)を養はず。(なが)天寿(てんじゆ)(たも)つ事(うたがひ)なし。

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