『養性訣』巻上 五事調和釈義

凡例

(1)変体仮名、片仮名などは、現行のひらがなに改めた。

(2)原文は読点のみだが、文脈から判断し、適宜句点を加えた。

(3)細字は〔〕内に記した。

(4)旧仮名遣いと送り仮名はそのままとし、旧字体や俗字などは原則として新字体に統一した。

(5)底本は京都大学富士川文庫所蔵の天保七年版を用いた。原文との照合の便をはかるため、原文の改ページ箇所を【】内に記した。

お知らせ

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巻上

【巻上一表】

養性訣上〔五事調和釈義〕

(まこと)摂生(やうじやう)(みち)は、天地自然(しぜん)(せい)(したが)ひ、陰陽(いんやう)二儀(ふたつ)調和(ととのふる)にあり。その陰陽(いんやう)とは、水火をいふにあらず。寒熱(かんねつ)をいうにあらず。また天と地との二つをさしていふにもあらず。すべて形体(かたち)あるものを、(かり)(よん)(いん)となし、その形

【巻上一裏】

(かたち)にそれそれの運用(はたらき)あるを、(なづけ)(やう)といふまでのことにして、天地万物(ばんもつ)は、(みな)この陰陽(いんやう)の二つを以て生成(つくりなせ)ることを知しむるまでの()と、まづおもふべし。さて人はこの陰陽沖和(いんやうのなかずみ)()受得(うけえ)(うま)れ、その本心(こころ)はもと淡然虚静(かたよりなき)ものなれども、摂生(やうじやう)(みち)(そむ)き、沖和(なかずみ)(うまれつき)(うしな)ふより、疾病(やまひ)(しやう)気稟(きしつ)(へん)じゆくな

【巻上二表】

り。(ゆえ)に人の心の善悪邪正(よきあしき)智愚(かしこきおろかなる)勇怯(つよきよわき)(ひとし)からざるも、悉皆(ことごとくみな)陰陽(いんやう)調適(ととのう)(ととのわ)ざるに(よつ)て、骨肉血液(からだ)(さまざま)(わか)れ、偏倚(かたずみ)たる(ところ)あるに(つれ)て、その(たがひ)あるなり。(ゆえ)(いま)人倫(ひとたる)(みち)(あきらか)にし、六(げい)淵底(ごくい)(きはめ)んと(おもふ)にも、(まづ)その(はじめ)摂生(やうじやう)(みち)(よる)ときには、事半(ほねをりなかば)にして功倍(てぎはばい)し、一を(きき)て十を(しる)の才をも(はつ)すべし。かかれば、

【巻上二裏】

一挙(ひとつのこと)にて心術(こころもち)病苦(やまひ)(ふたつ)ながら治得(なおしう)べきなり。(しかる)衆人(せけんのひと)此理(このり)(しら)ず。生得(うまれえ)たる賢恵(かしこきと)巧拙(おろかなる)(うまれつき)は、(かゆ)べからざるものとのみ(おも)ひ、学問(がくもん)伎芸(てわざ)凡百(さまざま)のことも、(みな)(いたづら)無用(むだ)(ところ)にその身力(ちから)(つくし)て、生涯(しやうかひ)覚悟(さとる)ことなきは、天性(せひ)自然(しぜん)なるものを観得(みつけう)ること(なら)ざるによればなり。(もと)より父母に受得(うけえ)たる稟賦(うまれつき)(しだひ)

【巻上三表】

よりて、具有(もちまへ)性質(こころもち)(しやべつ)なきにあらねど、今よくその天性(せい)(したが)ひ、摂生(やうじやう)(みち)(まも)り、勤行(つとめおこなひ)(やむ)ことなければ、其習慣(しならし)自然(しぜん)のごとき(うまれつき)をも変じて、善良(よきかた)(さが)となし、愚蒙(おろか)なるこことをも(てん)じて、智断(けつだんしや)(なら)しむるは、これ必然(ひつじやう)道理(どうり)なり。古昔(そのかみ)(せい)人の丁寧反覆(ねんをいれ)説諭(ときさとし)たまふ孝悌(こうてい)仁義(じんぎ)(みち)も、ただこの陰陽(いんやう)調適(ととのへ)て、

【巻上三裏】

天地沖和(なかずみ)(さが)()せしめんための(おしへ)にして、それを(わが)医事(いしやのかた)にとれば、人身(ひとのからだ)天賦(てんねん)自然(しぜん)(もとむる)ところあるを鍳察(かんがえ)て、その所為(しわざ)(まかせ)て病を()する(むね)と、(いささか)異途(ことなること)あることなし。(ゆえ)一切(さい)病苦(やまひ)は、(みな)其心(そのこころ)偏倚(かたよる)ところにあるより(おこる)ものなることを、よく反求(がてん)しぬれば、これを()する(しかた)(しぜん)明得(あきらめえ)らるべきこと

【巻上四表】

なるを、人々その親愛(かはゆし)とおもい、賤悪(にくし)とおもふ心の(ひかり)かたに偏倚(かたより)て、その()(おさまら)ざるより、精神(たましひ)おのづから(うわのそら)(なり)て、()(つね)に上に衝逆(のぼり)(だんだん)に下に粘結(こり)て、病苦(やまい)(それにつれ)(おこり)(つい)にはその天年(ねん)(おう)ること(あたわ)ざるにいたるは、(もっとも)(なげかわ)しきことにあらずや。(むかし)(ずい)の世に陳箴(ちんしん)といふ人あり。仙人張果(ちやうくわ)これを(さう)し、期年(いちねん)ならず

【巻上四裏】

して、必死(かならずしぬ)べきよしを(つげ)たりしを、その(おとと)天台(だい)山の顗禅師(きぜんじ)(ものがたり)ければ、禅師(ぜんじ)これにその(みみ)目口鼻(はな)外慾(よく)(たち)て、(たべもの)(ねむり)(からだ)(いき)(こころ)五事(いつつ)調和(ととのへ)行往(たちい)坐臥(おきふし)止観(しかん)(ほう)修行(しゆぎやう)すべきことを(をしへ)(なさ)しむ。陳箴(ちんしん)(つつしん)でその(をしへ)(うけ)、これを(おこな)ふこと()月、(のち)張果(ちやうくわ)(まみ)ゆ。張果(ちやうくわ)大に(おどろき)て、(ふしぎ)なるかな道力(しゆぎやうのとく)、よく短寿(わかじに)(かへ)て長

【巻上五表】

(ちやうめい)となし、(にはか)によく死を(こえ)(せい)()たりと(もふ)せしが、陳箴(ちんしん)はそれより十五年を()て、病なく端座(すわり)たるまま死せしとぞ。此法(このはふ)、もと(あながち)寿(いのち)を延し(からだ)(だいじにせん)ことを(もっぱら)にして、(もふけ)たるにはあらねど、()心識(たましひ)愛養(たひせつ)にするの善資(よきたすけ)(くわん)神解(ちえ)策発(ひらか)するの妙術(めうじゆつ)と。顗禅師(きぜんじ)もいいて、その外に()心識(たましひ)収摂(ひきとめ)て、一切(さい)外物(ものごと)

【巻上五裏-六表】挿絵

【巻上六裏】

(ため)(くらま)されぬやうにとの(をしへ)なれば、これを仏道(ぶつどう)修行(しゆぎやう)楷梯(はしわたし)とし、(くるま)双輪(ふたつのわ)鳥の両翼(さうのつばさ)(たとへ)たり。はじめにもいふごとく、人の視聴(みきき)(ものいひ)(たちはたらき)は、皆これ心識(こころ)運用(とりまはし)なれば、(かり)にこれを(やう)(ぞく)し、身体(からだ)耳目(めはななど)形質(かたち)あるものは、(かり)にこれを(いん)(なづ)く。この陰陽(いんやう)二気(ふたつ)は、もと天より受得(うけえ)たる命筭(すう)定限(きまり)あるものなれば、

【巻上七表】

これを愛養(おしみ)て、(みだり)外物(さまざまのこと)役使(つかは)ぬやうにすれば、その費用(へらす)ところ少きを以て、心識(こころもち)よく内に(まも)り、血気自充足(やしなひじうぶんに)て、寿筭(いのち)(のぶ)べき道理(だうり)なり。(しかる)を之に(たがひ)て、(おのれ)利欲(りよく)のために、(その)体膚(からだ)(つから)し、(みだり)心識(こころ)費用(つかう)こと、其度(そのほど)(すぐる)ときには、陰陽(いんよう)沖和(なかずみ)(うまれつき)(うしな)ひ、定限(かぎり)ある命筭(いのちのすう)耗散(へらす)を以て、(よはひ)(ちぢむる)ことまた(しん)ぬべし。今

【巻上七裏】

その(やまひ)()(いのち)(まつたふ)せんことを(おもふ)には、先その血液()純粋(きつすひ)にし、心識(こころ)をして内の(まもり)を専一にせしむるにあらねば、よく陰陽(いんやう)沖和(なかずみ)(うまれつき)(ふく)して、成功(こう)(あらわす)こと(あた)はず。(ゆえ)にその飲食(たべもの)(へらし)て、腸胃(はらのうち)強健(すこやか)にし、動作(たちい)(ほどよく)して、体腔(からだ)化育(こなれ)(たす)け、吸呼(いきあひ)調停(ととのへ)体容(かたち)寛舒(ゆるやか)にして、(もつぱら)(ほか)(ちる)心識(こころ)収摂(ひきしむる)(じゆつ)

【巻上八表】

(まされる)ものあることなし。故に(つつしん)でよくこれを(まもり)、その自然(しぜん)(みち)(したが)ひ、勤行(つとめおこなひ)(やま)ざるときには、陰陽(いんやう)自和適(おのづからととのひ)真宰(げんき)令周行(めぐりよくなり)て、従来(いままで)病苦(やまひ)は、旭日(あさひ)(しも)(きゆ)るが(ごと)く、いつとなく平治(いえゆき)て、思慮(ちえ)計画(ふんべつ)以前(いぜん)(ばい)し、これに(より)長寿(ちやうじゆ)()んこと、(さら)(うたがひ)(いる)べからず。たとへ(かれ)はただ心意(こころ)(きよう)せんが(ため)(まうけ)たる(はふ)

【巻上八裏】

りとも、(ここ)には(かり)病苦(やまひ)(すくふ)捷径(ちかみち)となし、これに(より)(その)気質(こころもち)転移(かえ)しむるに(いた)らば、(ひとり)摂生(やうじやう)医術(いじゆつ)のみならず、一切(さひ)(みち)至極(しごく)とするものは、ただ天地の自然(しぜん)(したがひ)(さかふ)ことなきを本旨(むね)とすべきこと、また(あきらか)なることにあらずや。よつて今五事調和(てうわ)(わけ)(とく)こと左の如し。

【巻上九表】

世の人は、(しよく)(へら)せば元気(げんき)乏弱(よわく)なり、膏粱(うまきもの)(くは)ねば、身体(からだ)枯痩(かじけ)寿命(いのち)(ちぢむ)やうにおもふは、大愚昧(はなはだおろか)なることにて、もと実理(だうり)(うとき)より、かかる妄慮(こころえちがひ)(おこる)ことなり。しばらく吾医(わがいしや)より之を(いは)ば、曰く飲食(のみくひ)するところの、穀肉(こくにく)果蔬(やさい)精微(きつすひ)(しる)が、()(なり)て、身体(からだ)滋養(やしなふ)(ため)に、四支(てあし)毛髪(けすじ)(はし)までも、往来(ゆきつ)順環(もどりつ)須臾(しばらく)(やむ)

【巻上九裏】

となく流行(めぐりゆく)を以て、この血質()純粋(きっすいに)清浄(すみたる)(よし)とす。(しかる)酒食(しゅしょく)(よく)(ほしいまま)にして、飽足(あきたる)ことを(しら)ば、膏粱(うまきもの)(くらう)こと其(そのほど)(こゆる)ときには、血液()(だんだん)渾濁(にごり)ゆきて、運化(めぐり)機転(ぐあい)遅渋(あしく)なり、身体(からだ)(しぜんと)沈重(おもく)起居(たちい)もわれしらず懶堕(ぶしょう)になり、心志(こころ)(それにつれ)昏闇(くらく)道理(どうり)弁別(わかつ)こと(なら)ず。(つい)には病を(こしらえ)て、()すべからざるに(いたる)なり。世に

【巻上十表】

所謂(いはゆる)癥瘕(しやくき)留飲(りういん)癇疾(かんしやう)脚気(かくけ)痛痺(つうふう)卒痱(そつちう)緩痱(るいちう)痿躄(いざり)婦人子蔵諸病(おんなのちのかたのわづらひ)、その(ほか)癈痼不治(なほりかねたるところ)(やまひ)も、十が八九は、飲食(たべもの)(よく)(ほしひまま)にするより(おこる)もの(おほ)く、傷寒(しやうかん)時行病(はやりやまひ)にもまた感冒(おかさ)れやすし。故にまづその血液()(ふたたび)純粋精微(すみきるやう)にして、転輸(からだをめぐる)妨害(さしさはり)なからしめんと(おもふ)には、その飲食(たべもの)摂慎(つつしむ)にあらねば、(かう)(なし)がたしとす。如何(いかに)とな

【巻上十裏】

れば、この飲食(たべもの)消化(こなす)ところの腹裏(はらのうら)機転(からくり)は、(たとえ)ば、(うす)(もの)(おろし)()(する)(ごと)きものにて、多投(たくさんいれ)()にせんとしては、(けつ)して精細(こまか)になりがたし。また力にあまれる(もの)(になへ)ば、中()委頓(つかれ)て、よく(おもふ)ところに(いたる)こと(なら)ざるがごとし。故に日々の食事(しよくじ)にかならず節度(ほど)(さだめ)過不足(たりふそく)なく、すべて六七分を程限(かぎり)

【巻上十一表】

すれば、腔内(はらのうち)(つね)余裕(くつろぎ)ありて、運化(こなす)機転(ぐあい)妨害(さわり)あることなく、心身(こころもち)(しぜんと)平穏(おだやか)に、血液(ちの)渾濁(にごる)ことなし。その飲食(たべもの)宜忌(よしあしき)は、病家須知に(のせ)たれば、よくかの書を(よん)で、此旨(このむね)参究(かんがへ)て、その身心()保養(たもつ)べき初門(いりくち)認得(こころう)べきなり。

およそ、人の睡眠裏(ねむるうち)は、()頭上(あたまのかた)(はこぶ)こと多く、腠理(はだへ)守衛(まもり)空疎(うとく)なるが故に、横臥(よこにねる)こと(ひさしき)

【巻上十一裏】

(すぎ)(さめ)ざるときには、(だんだん)に上(じつ)して下(きよ)し、頭部(あたまのうち)壅塞(つまり)て、身体(からだ)諸液(うるほい)(しぜんと)稠濁(ねばこく)なりて、心識(こころもち)(それにつれ)愚蒙(おろか)になりゆくものなり。(ねむり)()(しよく)と古人も(いへ)ば、かならず(むさぼり)りて過度(すごす)ことなく、よく其則(そのほど)(たてて)(いねる)ときには、よく精神(こころ)安定(おちつく)やうにして、心身(からだ)老倦(つかれ)(やすむ)べきなり。右を下にして(ふさ)しむるも、蔵府(はらはた)位置(いずまい)を以て

【巻上十二表】

いふときには、(ぜひとも)しかせねばならぬことなり。また、(ねむり)を少くせんとならば、かならず食量(しよく)を減(へらす)べし。食多(しよくおほ)ければ腸胃(はらのうち)壅塞(ふさがり)て、胸膈(むね)を下より(おし)て、その気()が上頭中(あたまのうち)(のぼる)が故に、(ねむり)もまた(それにつれ)て多く、食寡(しよくすくな)ければ、腹気(はら)衝逆(うごき)もまた(つよ)からねば、(ねむる)こと少くして、精神(げんき)自充足(しぜんとあまり)て、身体(からだ)運化(こなれ)(かへつ)(すこやか)なり。よりて食眠(しよくとねむり)の多

【巻上十二裏】

少は、相離(あいはなれ)ぬものなることを、よくよく(あきら)むべきことなり。よく(この)二事(ふたつ)調停(ととのへ)ぬものは、假令(たとへ)いかなる才徳(さいとく)の人なりとも、智慮(ちえ)(だんだん)昏闇(くらく)なりて、病苦(やまひ)もまた(それにつれ)(おこ)るか。または(その)年壮(としわか)なるあひだは(なに)事故(しさひ)なきも、頒白(ごしう)以後(いご)精気(せいき)のやや(おとろふ)(ころ)(いたつ)て、(かならず)重患(たいびやう)(かかり)()すべからざるか。または老耄(ろうもう)するか。(あるひ)

【巻上十三表】

卒病(にはかやまひ)にて()(まねく)ものなり。(とりわけ)日出て(まくら)(はなれ)ぬは、(もっとも)()(がい)ありとす。如何(いかに)となれば、すべて朝寝(あさね)ずきなるものは、日昴(ひいつる)(つれ)て、頭部(あたまのかた)()(のぼる)こと多きを以て、かならず嗔怒(はらだち)鬱悒(くつたく)(など)(なやみ)(しやう)じ、癇疾(かんしよう)痱病(ちうぶう)(など)(やまひ)(まね)道理(だうり)あり。また、この二事(ふたつ)をよく調停(ととのへ)ぬる人は、貪眠者(ねむりずきなるもの)の一と月を以て、(われ)(おい)ては二た月の得力(とくぶん)

【巻上十三裏】

あるべし。たとへ日に一(とき)得力(とく)ありとも、これを一歳(いちねん)通計(さんよう)すれば、三百六十時。もつて二た月の昼に(あた)るべし。これを生涯(しやうがひ)(かぞふ)れば、その裨益(とくぶん)また洪大(おほひ)なりとす。故によく無病(むびやう)にして、その天年を(まつたふ)せんことを(ねがひ)(および)学問(がくもん)伎芸(げいじゆつ)(おのおの)その極處(ごくい)(あきらめ)んと(おもふ)ものは、まず飲食(たべもの)睡眠(ねむり)二事(ふたつ)は、(つね)不足(ふそく)なるやうにすべ

【巻上十四表】

きこと、(これ)格物致知(がくもんおこなひ)一端(ひとつ)なることを(こころえ)、よく本編(ぺん)(よみ)で、其度(そのほど)(さだむ)べし。

体容(なりかたち)(ただしく)して、(のち)気息(いき)調和(ととのへ)よといふは、周身(さうみ)気息(いき)臍下(ほぞのした)充実(はりつめ)て、其四肢(そのてあし)軽虚(かろかや)にし、頭面(かほ)肩背(かたせ)胸腹(むねはら)四末(てあし)に、(いささか)もき()礙滞(とどこほる)ところなく、(もの)(ひつさぐる)にも(わざ)(する)にも、すべて臍下(ほぞのした)の力を用ふるようにせんとの(をしえ)なり。この

【巻上十四裏】

臍輪(ほぞのぐるり)以下(よりしも)丹田(たんでん)(ところ)は、人身(からだ)正中(まんなか)にて、肢体(てあし)運用(はたらかす)ところの枢紐(しんぎ)なり。上は(はな)と相(あひ)(おう)じて、天地間(てんちのあひだ)大気()(はな)よりして吐納(ひきいれ)、その外気()をこの丹田(たんでん)より周身(さうみ)普達(ゆきわたらせ)て、内外(うちそと)一貫(ひとつら)になりて、生命(いのち)(たもつ)ところの根本(ねざし)なればなり。故に婦人(をんな)懐孕(くわいにん)するも、またその種子(たね)をここに生育(やういく)す。また()子宮中(こつぼのうち)(ある)や、その

【巻上十五表】

(はな)(おのれ)(ほぞ)(のぞく)やうに、(からだ)弓形(ゆみなり)にして、(はな)(ほぞ)とを相対(あひたい)し、被膜裏(ふくろのうち)より母の丹田(たんでん)通応(つうおう)し、おのづから外気(そとのき)感得(かんとく)す。これ天賦(てんねん)妙機(ふしぎ)なり。それ日月星辰(ほし)中天(そら)(かかる)も、地界(だいち)万物(ばんもつ)(のせ)(おもし)とせざるも、悉皆(ことごとくみな)その枢軸(しんぎ)運転(はたらき)あるに(より)てなり。人も又かくのごとく、身体(からだ)運転(はたらかす)べき大気()を、この中心(まんなか)丹田(たんでん)

【巻上十五裏】

(はこび)て、上下左右平等(べうどう)にして周遍(あまねき)ときには、(おのづから)天賦(てんねん)機関(ぐあひ)(かなふ)がゆえに、(もとめ)ずして不可思議(ふかしぎ)妙用(はたらき)(そな)へ、変化(へんくわ)自在(じざい)(とく)(たもつ)にもいたるべし。もし(さある)ときには、心に憂愁(うれひ)嗔怒(いかり)(なやみ)もなく、()痛苦(いたみ)疾疢(くるしみ)(わずらひ)をも(うけ)ず、苦界(くるしきなか)(あり)(くるしみ)(しら)ず、楽境(たのしきこと)(かかり)(たのしみ)(ふけら)ず。かかるを天地と其徳(そのとく)を同くし、日月とその(ひかり)

【巻上十六表】

(ともに)するものともいふべきなり。今(ちかく)人身(からだ)中心(まんなか)(ほそ)より(した)(したまた)より上(うへ)腰髎(こし)小腹(したはら)(あひだ)所謂(いはゆる)丹田(たんでん)(ところ)(ある)ことを(ためさ)んに、仮令(たとへ)ば、()(おもきもの)(せおへ)ば、(からだ)はかならず(まえ)(かがみ)、前に(もの)(さぐれ)ば、()はかならず(うしろ)(あふぐ)。右に(さぐ)れば、左へ(かたむ)き、左に(とれ)ば右に(かたむ)く。この抵対(つりあひ)は、(ぜびとも)その(もの)軽重(めかた)(したが)ひ、前後(ぜんご)左右の重力(おもさ)(つれ)

【巻上十六裏】(見開き画像)

【巻上十七表】

行住(たちい)担提(にないさぐる)運動(はたらき)も、すべて臍下(ほぞのした)丹田を身体(からだ)正中(まんなか)にして、左右前後平等(べうどう)に、(かならず)天地の直線(すぐなるすじ)(はづる)ることなきやうにする。自然(しぜん)妙機(かねあひ)は、よく本文を読得(よみえ)(かんが)ふべし。〕

【巻上十七裏】

て、その中心(しん)(ささゆ)ること、たとへば、積錘(ふんどん)を以て秤衡(はかり)平等(べうどう)にするが(ごと)く、その身体(からだ)(たをれ)ざるやうに、心なくしておのづからかくするは、地界(だいち)中心(しん)より人身(からだ)中心(しん)をさし(つらぬき)たる直線(すぢ)を、(はづる)ことなきやうにとの、天賦(てんねん)妙機(かねあひ)(よつ)てなり。今体容(かたち)呼吸(いきあひ)調(ととのふ)るは、(ひとへ)にこの中心(しん)身体(からだ)枢軸(くろく)になして、上下(ぜん)

【巻上十八表】

()左右平等(べうどう)に、一気(げんき)命令(さはい)よく(ゆき)わたりて、動静(たちはたらき)云為(とりまはし)(おのづから)過不及(たりひずみ)(たがひ)なからしめんがためなり。(しかる)をもしこれに(そむき)て、身体(からだ)偏倚(へんば)なるところあれば、その偏倚(へんば)(つれ)病苦(やまひ)となるなり。今これを衆人(おほくのひと)(こころむ)るに、小腹(したはら)臍下(ほぞのした)充実(はりつめ)大腹(ほぞよりうへ)支結(こり)痞𢡛(つかへ)なきものは、無病(むびやう)なるのみならず、精神(こころもち)よく安定(おちつき)て、仁義(じんぎ)(みち)(こころがけ)(けつ)

【巻上十八裏】

(だん)かならずよきものなり。また胸脇(むねわき)支𢡛(つかへ)心下(みづおち)中脘(ちうくわん)(あたり)壅塞(とぢ)臍下(ほぞのした)に力なきものは、(なからず)宿疾(ぢびやう)ありて、(かつ)()しがたく、その思慮(こころ)(さだまら)ず、愚痴(ぐち)蒙昧(むふんべつ)にして、毎事(ものごと)依様模糊(はきはきせず)。ややもすれば、耳目の(よく)(まどひ)やすく、飲食(たべもの)もまた停滞(つかへ)がちにて、多くは天寿(てんねん)(まつたう)すること(あたは)ず。たとへ(たまたま)寿(じゆ)()たるも、老耄(ろうまう)して事用(もののよう)にたちがたきも

【巻上十九表】

の多し。方今(たうじ)昇平(たいへい)二百余歳(よねん)。人々安逸(おもしろきこと)(ふけ)り、歓楽(たのしみ)(なれ)て、ただ富貴(ふうき)栄華(えいぐは)(した)ひ、名声(めうもん)功利(りよく)競逐(きそひ)飽足(あきたる)ことを(しら)ざるが(ゆえ)に、その心志(こころ)(うはのそら)にのみ(なり)て、(うち)(まもる)ものなく、その外物(そまざまのこと)摂受(みききする)ところの、耳目口(はな)(あな)のかたへ、一身(からだちう)血気(げんき)とともに胸腹諸蔵(はらわた)を上へ上へと勾引(ひきよせ)、もし腔内筋膜(はらのすじかは)繋着(つなぎ)がなくば、蔵府(はらはた)はこ

【巻上十九表】

とごとく頭面裏(あたまのうち)に、搶去(ひきこみ)もしつべき(ありさま)なれば、身体(からだ)(ぞく)所謂(いふ)将棋(しやうぎ)だをしとやらんになり、臍下(ほぞのした)空洞(からつぽ)にて、(もの)なきが如(ごと)く、大気(いき)令行(かよひゆきとが)ず、下元(しも)の力虚乏(ふそく)して、腰脚(こしあし)に力なく、腸胃(はらはた)(だんだん)狭隘(せまく)なり、日々の飲食(たべもの)停滞(とどこほり)敗壊(すえ)て、血液()運輸(かよひ)怠慢(あしく)なるなり。かくては、病を生ぜてはかなはぬ(からだ)となることは、(まつた)く天(せい)(もと)り、

【巻上二十表】

自然(しぜん)対法(つりあひ)(うしなへ)るが故ぞかし。かかる人の平常(へいぜひ)()るに、たとへ亢強(つよき)やうなるも、大()(のぞみ)ては、(かならず)周章(うろたへ)狼狽(さわぎ)て、思慮(こころもち)(さだまり)なく、(つひ)には痴獃(あほう)の名をとるか。(まず)堕窳(だじゆく)にして気宇(けんしき)なきが多きものなり。古昔(むかし)に、髄海(ずいかひ)谷神(こくしん)、天谷、泥丸宮(ないあんぐうう)、または上丹宮(たんぐう)、あるいは(てう)金剛宮(こんごうぐう)などと、さまざまの名称()ありて、頭中(あたま)一身(からだ)(さはい)

【巻上二十裏】

(する)ところの心識(たましひ)(あり)となす。もし(しか)らば、(その)外物(さまざまのこと)摂受(みききする)ところの耳目口(はな)を、頭脳(あたま)(ちか)面部(かほのうち)(ひらき)て、身体(からだ)使役(つかふ)便利(うつてよき)やうにしたるも、また天賦(てんねん)妙巧(さいく)なるべけれど、その耳目口(はな)窓牗(まど)より、(きり)の如く煙(けふり)のごときもの燻侵(ふすべおかし)て、咫尺(むかふ)を弁(みとむる)こと能(なら)ず。凡百(いつさい)(こと)、すべて(あたか)闇中(くらやみ)(もの)模索(さぐる)(ごと)くなるが故に、

【巻上二十一表】

おのれが(もちまへ)なる、天地と混融一体(ひとつもの)なる霊妙(きめうふしぎ)心識(たましひ)は、(たとへ)糞壌(あくた)の中に(うづもれ)たる金玉に(ひとし)く、光耀(ひかり)(はつ)するの()あることなし。かく耳目の(よく)身膚(からだ)(つから)し、心志(こころ)(くるし)め、一(しやう)名利(めいり)(ちまた)奔走(かけまはる)は、(たとへば)客店(はたごや)居室(ざしき)(おのれ)(こころ)(かなは)ざるを(くろうにし)て、(よのあくる)まで快睡(ねむら)ざるが(ごと)く、(あに)(ばか)(はなはだし)きものにあらずや。(これ)をよくよく其初(そのはじめ)

【巻上二十一裏】

(たちもどりてみる)ときには、(ただ)一念(ねん)(よく)(こらゆる)ことならずして、(つひ)禽獣(とりけだもの)(るい)を同うし、かく天寿(てんねん)(ちじむる)にも(いたる)が故に、(いま)摂生(やうじやう)第一義(だいいち)とするものは、ただ其(よく)(こらゆる)にありとはいふなり。故に病家須知(こころえぐさ)に、(おそるる)(こらゆる)との二つを摂生(やうじやう)(はじめ)とし、(つとめ)(つましき)とを以て之を(まもる)ことを(しめ)せしも、これ天真(てんねん)(まつたふ)する自然(しぜん)(みち)(したがふ)なり。かかれば、夫婦(ふうふ)(おや)

【巻上二十二表】

()君臣(しうじう)朋友(ともだち)人倫(ひとのしな)あるに(つれ)て、それそれの(みち)(おしへ)(また)ずして(しぜんと)具有(そなはる)がごとく、摂生(やうじやう)(みち)も、又天地自然(しぜん)条理(すぢみち)(より)て、(さかふ)ことなきやうにするまでのことにて、(ほか)(もとむ)べきものにあらず。しかはあれども、かく利慾(りよく)に心の(くらみ)はてたるものを、(にはか)にその本性(もとのさが)(あらため)しめんとするは、大に難事(かたきこと)にして、人々懊慹(くつたく)嗔沮(はらだち)執拗(かたいぢ)

【巻上二十二裏】

疎放(やりばなし)を、自己(おのれおのれ)性格(もちまへ)なり。(あるひ)(おや)気質(きしつ)(うけ)たるなりなどと裁量(わけをつけ)て、(あたらめ)んとおもふ者少なければ、それらの(ため)には、(まづ)その性格(もちまへ)とするものは、(その)ままに(しばらく)放下(さしおき)て、(ただ)飲食(たべもの)(ぶんりやう)(さだめ)睡眠(ねふり)(きまり)をたてて、さてそれより、(からだ)倚側(ゆがみ)(いまし)め、呼吸(いきあひ)調和(ととのへ)しめて、行住(たちい)坐臥(おきふし)にこの心を(つけ)て、瞬時(すこしのま)忘失(わするる)ことなからしむれば、そ

【巻上二十三表】

の心の(しづめ)るもの(うかべる)もの、いつとなく調停(ととのひ)て、胸腹(むねはら)寛舒(ゆつたり)となり、臍下(ほぞのした)自然(しぜん)充実(はりつめ)て、頭肩(つむりかた)(たんだん)(かろ)く、腰脚(こしあし)力用(ちから)(でき)て、その心の偏倚(かたずみ)は、(おのづから)ら改りゆくに(したが)ひ、従来(いままで)癇疾(かんしよう)癥瘕(しやくき)留飲(りういん)、すべて肩背(かたせ)結塞(こはる)ところの病、婦人蔵躁(をんなのちのみち)月信(つきやく)不調(ふじゆん)、その(ほか)一切(さい)沈痾(なほりかねたるやまひ)も、薬石(くすり)の力を(また)ずして平治(いゆる)(いた)れば、かの性格(もちまへ)とするところの()

【巻上二十三裏】

(しつ)は、何処(いづこ)にか忘失(わするる)が如く、心意(こころもち)坦懐(のびやか)に、言行(たちふるまひ)柔順(しとやか)になること、その(めう)(あげ)ていうべからず。(もし)よく(かく)(ごと)くなる(ところ)(いた)(うる)(のち)は、仮令(たとへ)健啖(おほめしをくひ)過飲(のみすぎをする)とも、(からだ)にさまでの妨害(さはり)(なら)ざるのみか。廃痼病(こぢれやまひ)()困苦(くるしむ)ほどのこと、まづは(なき)ものなり。(そのうへ)すべて心は(かたち)(したがふ)ものなることは、衣服(いふく)(ととの)威儀(いぎ)(とりつくろひ)たるときと、宴居(ゆるりと)

【巻上二十四表】

放縦(きまま)にしたるときは、心の(おもむく)ところ自異(おのづからことなる)が故に、病を去意(さるこころ)(かへ)すむるの捷径(ちかみち)は、この(しよく)(ねむり)(からだ)(いきあひ)調適(ととのふる)(まさ)れる(じゆつ)あるべからず。それ人の世に(ある)や、白駒()(ひま)(すぐる)が如く、(かぎり)ある(いのち)を以て、(きはまり)なき利欲(りよく)妄想(ひがおもひ)(ため)に、病を(いだき)て天命を(ちぢむる)ことは、(おのれ)心識(こころ)に、かかる徳性(とく)具有(そなへたる)ことを(しら)ず、(いたづら)形体(からだ)(かぎり)(つくし)て、飽足(あきたら)

【巻上二十四裏】

ざるが故なり。もし人よく寡慾(よくすくなき)摂生(やうじやう)第一義(だいいちぎ)なることを知得(しりうる)ときには、(あながち)五事調和(てうわ)(まづ)までもなく、病苦(やまひ)なくして泰然(やすやす)とその天寿(てんねん)(おへ)て、子孫(しそん)(さかえ)をも()すべきなり。故に世人よくよくこの道理(だうり)(わきまへ)んことを庶幾(こひねがう)のみ。

養性訣巻之上終

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