巻下 附言

凡例

(1)変体仮名、片仮名などは、現行のひらがなに改めた。

(2)原文は読点のみだが、文脈から判断し、適宜句点を加えた。

(3)細字は〔〕内に記した。

(4)旧仮名遣いと送り仮名はそのままとし、旧字体や俗字などは原則として新字体に統一した。

(5)底本は京都大学富士川文庫所蔵の天保七年版を用いた。原文との照合の便をはかるため、原文の改ページ箇所を【】内に記した。

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【巻下二一裏】

附言

先に予が著せる病家須知に、飲食、寤寐、体容、呼吸、心意の五事を調適すれば、能衆病を除き、身体壮健になり、智慧勇気も増発するよしを述て、これを摂生の第一義とする旨を記したりしを、深く疑ものありて、予に詰問せんとき、それにこたえんとて、聊其大旨を再釈して与たるが、此小冊子なり。されど、其蘊奥に至りては、各自の心契自得に在ことにして、言語文字を以て諭すべからざること多し。其初め大小止観等に、五事調和の説あるも、固より隨宜の接引なるを、かく喃言するは、所詮なきことと思ふものから、亦世の蒙昧を開発する小補にもなることあらんかと、己れが文辞の拙陋なるをも忘て、筆記せしものにして、ただ卒爾の問に応たる。世に云、「はしりがき」の類なるを、かく梓

【巻下二十二表】

に彫めたるは、嗚呼がましきことと自愧れば、敢て世に公にせんの心にはあらず。この頃、病家須知刻成のをりから、之を同好の士に贈て、或者の如き惑を解しめんことを庶幾するまで也。

古今摂生の道を説もの、多くは、運気旺相、四時宜忌の范洋たることをいひ、甚きに至ては、房中補益などの妄誕不経を談じ、或は病なきに、預防の薬を服することを伝へ、或は此薬よく年を延べ精を益といふが如ぎ、昏愚沙汰のかぎりとなることどもなり。予が真の摂生の道といふは、ただ天地自然の性に循て、逆ふことなきを以て法とす。中庸に、天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教。また、唯天下至誠為能尽其性、能尽其性、則能尽人之性といふが如く、人倫の道は、其天性の誠に循ふに在り。摂生の本づくところも、亦此に同じ。故如

【巻下二十二裏】

何となれば、人々の行履其道に由ず、中和の性を失ふときは、身体も亦従て偏倚し、上に逆し下に否す。之を名て病といふ。故に素問にも、恬淡虚無、真気従之、精神内守、病安従来といふて、一切の病の其心より起るを誡めたり。故に能く生を摂するものは、先其心を養ふを以て至れりとす。孟子に曰く、養心莫善於寡欲、荀子に、君子養心莫善於誠といふが如き、是なり。其旨趣は、病家須知首巻及ひ各処に論ずるところと、此篇に釈するところとを参考して、自ら明むべし。今真の摂生の方を守り、各自固有の道に由て、以て本性を尽し、其天命を終るのみ、而して死するは、正命といふもの也。故に今予が此等の書を読んには、先此旨を領知して、而後に其理を体認すべきなり。

顔氏家訓に曰く、性命在天、神仙之事、不可為其誣惑、但当愛養神明、調気息慎

【巻下二十三表】

節起臥、均適寒暄、禁忌食慾、餌飲薬物、遂其所稟、不為疾病侵折、是謂善摂生者、故摂生、先須慮禍全身保性、有此生然後可養とあり、其言簡にして意尽せり、摂生家将に服膺すべし。

天台の智顗禅師が、方等懺法を専らに説て、俗兄陳箴に授て行はしむといへるは、摩訶止観を按ずるに、四種三昧といふを説り、一は常坐、二は常行、三は半行半坐、四は非行非坐にして、此方等懺法といふは、即第三の半行半坐三昧なり。方等、法華、倶に半行半坐を用て方法と為を以てなり。五事調和といふは、四種三昧を修行するための設なれば、一功に通じて此を用るとなり。而予が病家須知に載たるは、止観等に論ずるところとは、其法やや差別あり。故に今其同異を詳にせんと欲するものは、大小止観等の書に就て考

【巻下二十三裏】

ふべし。而して天台の叡智を以てするすら、其病を論ずるに至ては、五行配当五蔵生剋の説に従うことを免れず。是彼邦古今の通弊にして、亦如何ともすべからざるところなり。

気海、丹田等の称は、もと道家より出たれども、彼が伝るところの練丹の術とは、其趣同じからず。又大智度論に、如人欲語、口中風名憂陀那、還入至臍触臍響出、響出時、触七処退、是名語言と見たれば、憂陀那は、もと気息の名なるを、禅波羅蜜には、用心住憂陀那、此云丹田、去臍二寸半とありて、丹田の一名とせり。また摩訶止観に、正用治病者、丹田是気海、能銷呑万病、若止心丹田、則気息調和、故能愈疾即此意也。丹田去臍二寸半と見えたり。然るを、抱朴子には二寸四分と説き、遵生八箋には三寸といふて、一致せえざるやうなれども畢

【巻下二十四表】

竟、名は実の賓なり。気海、丹田、憂陀那等の称も、皆仮用るところにして、ただ臍下と横骨の中間、小腹と腰髎の正中なる、人身の枢軸を示すまでの称呼と思ふべし。

外気と称するものは、即ち風気なり。之を外といふは、身内の風気に対して呼ところなり。其物たる、静なるときは気と名づけ、動けば之を風といふ。其実は一物にして二名、猶水と波との如し。千臂千鉢大教王経に、一切風輪、是吾所用故気といふの類是なり。天経或問に載たる、地水火気の四元行の称は、西戎より出て、其原は竺土に地水火風を四大とて云より起れり。後世西戎の説穿鑿に過て、四十一元行、乃至五十余元行等の説あるは、大に惑へることどもなり。地界に此風気の囲繞するものあるは、万有各自の衛気あると同

【巻下二十四裏】

一理なることは、西戎人のいまだ言及ぼさざるところなり。其概略は、下巻に於ても

ほぼ其意を示せり。「まるちん」風気を論じて曰く、「りゆくと」〔風気〕は、視べからざる流動質にして、地界を囲繞し、其裏に、「だれぷ」〔昇陽〕雲雨諸気を浮現す。万類は之を呼吸にして、其間に生活栄枯す。其質たる、水の如くにして氷ることなく、透明にして見るべからず。稀薄にして亦濃稠となる。圧力あり。引力あり。弾力あり。焰を保ち声を送り光を達する等、「りゆくと」の運用大なりとす。且限際ありて無限に延す。地界を去こと愈高ければ愈疎にして、預其限際の度を定がたしと雖、其大概をいへば、其高さ二万二千四百四十丈を風気の極りとすと見えたり。此説繊悉なるが如しと雖、洪漠たる天地の間、日月星辰の悠遠なる、何れの処を限際とせん。荒誕固より論ずるに足ず。惣て

【巻下二十五表】

かかることは、人智の測るべからざることなれども、風気の運用は、預此説を以て其梗概を会得すべければ、暫く此に鈔出せるなり。

老子に、善摂生者、陸行不遇兕虎、入軍不被甲兵、兕無所投其角、虎無所措其爪、兵無所容其刃、夫何故以其無死地焉といへるは、一切の妄念を放下して、澹然虚静の境に到り、無生の真理を得たるものの体は、刀杖も害すること能はず、猛獣も賊すること能はざるの意也。又荘子に其天守全其神也、乗亦不知也。墜亦不知也。生死驚懼、不入干其胸中、是故遻物不慴、彼得全於酒、而猶若是、而況得全於天乎といへるの類、本編に論ずるところの衛気の説と対考すべし。此衛気の物たる、万有互に具して相混ずることなく、亦相離るることなく、

【巻下二十五裏】

しかも天地の間に充塞して辺際なく、其辺際なき裏に、各自の区別ある等の事理に至りては、此篇の説尽すこと能はざるところなり。読者之を詳かにせよ。

予が衛気の説は、白井氏の自得せし、真空赫機等の説と異同あるが如くなれども、其帰するところに至ては、必しも相背かず。其故は、彼翁の鋒尖の赫機と称するものは、即身体中より発するところの、衛気中に含有せる光暉の鋒尖より発する也。此翁の術たる、気血の勇を却け、耳目の用を廃し、ただ臍下丹田を枢軸と為て、外気と応和し、空機を以て、敵の挙動を遮蔽し、赫機を発つて、敵の肺肝を透貫すといふ。是其特論にして、予が衛気の説と符合するところなり。唯其異なりと為ものは、外気の彼れに在ものを取て、敵を伏

【巻下二十六表】

するの説のみ。是彼伎に於て切要とするところなればなり。特此篇は、摂生の書にして、衛気を講するも其余波なるを、真空赫機等の事件は固より拘るところにあらず。唯其帯を用ひ腹を紮て、気息を臍下に充実せしむる説の、吾伎に功用あるを採て、巻末其議に及べるなり。

仏家に用印呪等の修行に於るも、悉皆此風気中の運用にして、彼れが所謂、善巧方便なれば、是を以て道の至極とするものにはあらず。此編の末章に、一切の伎芸を為にも、臍下を実し、四支を虚にすべきよしを述たるも、身体を外気に和して、天性の自然に応ずるをいふなれば、印呪の定かを以て験を得るものと、其帰するところ同じきことを知るべきなり。

腹帯のことは、鵠林に濫触するにあらず。予頃後漢の安世高あ釈せる、大比丘

【巻下二十六裏】

三千威儀を閲するに、此帯のことを載て禅帯と名づけたり。今ここに鈔出して之を示す。其文に曰く、欲坐禅復有五事、一者當隨時、二者當得安牀、三者當得軟座、四者當得閑処、五者當得善知識復有五事、一者、當得好善檀越、二者當有善意、三者當有善薬、四者當能服薬、五者當得善助、爾乃得猗、隨時者、謂四時、安牀者謂縄牀、軟座者、謂毛座、閑処者、謂山中樹下、亦謂寺中不与人共、善知識者、謂同居善、善檀越者、謂令人無所求、善意者、謂能観、善薬者、謂能伏意、能服薬者、謂不念万物、善助者、謂禅帯、禅帯有五事、一者、當広一尺、二者、當長八尺、三者、當頭有鉤、四者、當三重、五者、不得用生韋、亦不得用金鉤とあり。狩谷棭斎が尺度の考に曰く、近ごろ清の沈彤が周官禄田考を読に、古尺の図を載て、宋の秦熺が鐘鼎款識の冊に載るところを摹す、今王莽が銭と、沈彤が図に據て、

【巻下二十七表】

周漢の尺を曲尺七寸六分と定るなり。後漢の章帝の作りし尺を、漢官尺といふ。曲尺七寸八分三釐三豪三糸二忽。清の孔尚任が得たる慮虒の銅尺は、其長さ曲尺七寸八分四釐四豪、即漢官尺なり。又唐の王冰が云し古尺も、略同じければ、是も漢官尺なるべしとなり。今是説に従て、此帯を製するときは、曲尺の六尺二寸七分許なれば、以て痩人及び胸下に支結なきものの腹を、三重に回転することを得べし。然れども、其制度の如き、今に在ては、詳にすることを得べからざれば、其大概を領知して可なり。必しも拘るべからず。

大顚の韓退之に対へし語に、昔者舜館畜犬焉、犬之旦暮所見者唯舜、一日尭過而吠之、非愛舜而悪尭也。以所常見者唯舜而未嘗見尭也。今子常以孔子為学、而未嘗読仏之書、遂従而怪之、是舜犬之説也といふが如く、今予が医にし

【巻下二十七裏】

て、摂生を講するに、医書を以てせず。止観中に載たる五事調和などに由て、其道を譚ずるも、敢て仏に佞するにあらず。旁西戎窮物の説を採用することあるも、亦彼に党するにもあらず。故に其論ずるところ、儒仏夏夷の説を混同して、遂に帰一の説なきが如くなるも、畢竟ずるところは、唯人をして其本性の自然なるものを会得せしめんと欲する微志の外に出ず。然を彼一方に偏倚して、此旨を明めさる輩は、首肯せざること多かるべし。されど、予を以てそれらを視るときには、大顚が所謂、舜家の犬なれば、若吠るものありとも、其吠るに任せんのみ。時に、乙未、夏六月、上浣、養生訣刻成を告るの日、卒に爾に此数件を記して、以て本編の参閲に供ふ。

攖寧室主人

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